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[書評]のメルマガ vol.260
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■■ [書評]のメルマガ     2006.4.16発行

■          vol.260
■■  mailmagazine of book reviews  [ ひとりの気配 号]
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[CONTENTS]------------------------------------------------------
★「真駒内石山堂通信」杉村悦郎
 →山口瞳熱愛者と永倉新八のひ孫。二人がお伝えする札幌の本事情。
★「女ともだちの本棚」鶯谷万亀子
 →某人文出版社の辣腕編集者による過去と現在が交錯するエッセイ。
★「今月ハマったアート本」平林享子
 →女の子。ガール。乙女。この眩しく満ち足りて完結した世界……。
★「もっと知りたい異文化の本」内澤旬子
 →がんばれ、晶文社!ということで、新体制で出た新刊をご紹介します。
★「林哲夫が選ぶこの一冊」
 →くだけながらも、きわめて美しい散文詩のような表現に目をみはる。
★「全著快読 梅崎春生を読む」扉野良人
 →『桜島』などで知られる梅崎春生(1915〜65)の全著作を完読します。

*本文中の価格は、表示のあるもの以外は、税抜き(本体)価格です。

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■真駒内石山堂通信〔番頭篇〕 杉村悦郎
(2)本は売るためにある?
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 私たちはなぜ「真駒内石山堂」を始めるのか? 理由は少しずつ書くとして、
きっかけとなった話をひとつだけしたい。昨年夏、中野店主と番頭の私は、真
駒内の居酒屋「かま吉」でいつものように呑んでいた。やがて蔵書の話になっ
た。本を枕代わりにしちゃいけないといわれた時代、「純文学」「大衆文学」
なんて区分はまだ健在だったけど。でもさ、55歳にもなると、すべての本は
「ずっとそばに置いておきたい」「いつかは読むかもしれない」「生涯絶対に
読むことはない」の3つの分別しかないんじゃないか。

しかも真ん中の「読むかも」は激減して、年ごとに「読むことはない」と断
罪されていく。かつて「読むかも」という若気の至りは、本を買う最大のエネ
ルギーだったが、気がつくと、蔵書のなかで「置いておきたい」は実に少数派
になっているという事実。人生は短い。「そうだよな」とお互い猪口を呑み干
しうなずいた。
家族から継子扱いされ、蛇蝎のごとく嫌われてきたこの物品を、一瞬にして
資産に換えたい。これがインターネットの古本屋「真駒内石山堂」の誕生秘話
である。売れるかどうかはわからない。売れたら、真駒内で夜ごと酒池肉林が
待っている、はずだ。

さて、ここで私的なことを書かせてほしい。私の父はすでに他界したが、30
歳の頃に書いた日記2冊を偶然に見つけた。日米開戦直前の昭和14年と15年
のもので、父はまだ独身、北海タイムス(現在の北海道新聞)の校正記者だっ
た。酒、映画、読書、仕事など戦前の札幌の日々が綴られている。誰も興味は
ないと思うが、今、私にはこの読物がいちばん面白い。これをなんとかまとめ
たいと考えているが、この連載の番頭篇では仮に「父日記」と称して、その周
辺も書きたい。

父と古本屋との付き合いは、例えば、札幌神社(現在の北海道神宮)祭のこ
んな一節、「酔いたるまゝ富貴堂より『通説云々』の約十円の本を求め、直ち
に古本屋にて六円五十銭を得、大いに蛮声を発して、愉快なる活動人形を見物」。
富貴堂書店(すでにない)で給料日払いにして本を買ったわけだが、売った古
本屋はどこか、活動人形ってなにか、知りたい。もうひとつ。私が、おゝレー
ニン!と誤読してしまった一節、「何故あのサーニンの愛読者が日本に出ない
のか、否、出さないかを嘆く」。

サーニンとはなんぞや、中野店主が小馬鹿にしながら教えてくれた。「アル
ツィバーシェフというロシアの作家がいて、極端なくらいの個人主義を追求し
て、生の享楽をテーマにして書いた小説が『サーニン』だ。日本でも大正時代、
志賀直哉や広津和郎がすごい影響を受けたんだ。うーむ、知らないか」。

しかしながら父の深い嘆きは、サーニンの文学的評価が低すぎることよりも、
どうやら生の享楽を追求するために自由恋愛を信奉する、という女性が少ない
ことらしいのだ。
例えばこんな一節。スタンドバーの女主人に対して「はて不思議なる女哉。
大いにサーニンイズムで誘う。それよりも、その傍らの美しの乙女の瞳の動き
の方が、もっと人生的だ。あゝ今宵、余はハンサムになりてけり」。または「ア
ブサンを引っかけるうちに、早く帰ろうと思っているうちに、こゝのヒロイン?
がサーニンを誉めるので、ついにひっかかり看板過ぎとなる。不良学生と呑む」。
父がサーニンを語るのはいつも呑み屋だ。

〈すぎむら・えつろう〉会社員
春ころに刊行予定の『北海道の不思議事典』(赤間均・好川之範編/新人物往来
社刊)の共同執筆陣の末席にて、プロレタリア作家・小林多喜二と新選組・永
倉新八の孫(私の伯父)のピアノにまつわる話、なんてコラムを書いています。

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■女ともだちの本棚  鶯谷万亀子
(6)名画座のこと 
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 古い手帳を手繰ったところ、「バリエラ」をみたのは1993年12月18日と
なっている。1988年に見逃してから実に5年ごしということになるが、場所
は志木の武蔵野文化センターだった。武蔵野文化センターは、イメージガレリ
オと同じく、シネマテーク・ジャポネーズという、フィルムの共同購入・共同
所有する自主上映グループネットワークに参加している団体だった。道をたず
ねる電話をかけてから駅から歩いていくと、会場のまえで心配そうに女性が立
って待っていてくれたのを覚えている。

 南3条を歩いて米屋が見えるとその隣、灰色にくすんだ小さな雑居ビルの二
階にイメージガレリオは入っていた。細い階段をあがると映画や演劇などのち
らしがたくさんおいてある踊り場があり、奥に入り口。JABBホールはススキ
ノの雑居ビルの地下。映画を見終わったあとの、終わっちゃった、というさび
しい感じと、ああよかったな、というみたされる感じで、夜の街をひとりで歩
くのがすきだった。家にはNHKの衛星放送が入っていて、テレビでもよく映
画をみていたが、本ばかりよんでいる娘の頭の中味と思想の色味を気にする保
守的な親の検閲的空気に包囲されながらみるのは気持ちのよいものではなく、
だから映画館でのひとりの時間は貴重だった。

 ひとと話をするのは好きだけれど、ひとりで行動するのがこの頃からの習慣
で、東京で暮らすようになってからも、友だちと連れだって映画をみにいった
りすることがあまりない。大学では映研にはいっていたので、その関係でいま
はない高田馬場パール座の増村保造特集に連れていかれたり、韓国人留学生の
友だちとACTミニシアターで大島渚をみたりといった記憶はあるのだが、池
袋文芸座のオールナイトも、新宿昭和館の特集上映もひとりでいった。そもそ
も映画館の観客はひとり客が多いのだが、問題はひとり客であっても存在感を
消す訓練ができていないガツガツとした感じのひとのいることで、芸人が汗を
かかない訓練をするように、これには修練が必要なのだと思ったものだった。
でも、たいていの名画座のお客さんは、上手にひとりの気配をまとっている。

 今年渋谷の円山町にオープンしたシネマヴェーラ渋谷のおかげで、しばらく
ご無沙汰していた名画座通いが再開した。3月の薬師丸ひろ子特集は、都合で
みることができないプログラムも多々あったのだが、「ありがとう」と頭をさげ
たい気持ちで通った。薬師丸ひろ子、なぜあんなにいいのか。いまはチャウ・
シンチー特集、このあとは加藤泰、日活ロマンポルノ+東映ピンキーヴァイオ
レンスと続く模様。

シネマヴェーラ渋谷
http://www.cinemavera.com/index.html

 名画座、といえば、大学3年生のころから院生時代まで、あしかけ6年ほど
アルバイトしていた地下鉄早稲田駅のすぐそばのビデオレンタル店も「ビデオ
名画座」という名前だった。

〈うぐいすだに・まきこ〉
1971年北海道千歳市生。NGO専従や映画配給会社を経て、人文系出版社編集。

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■今月ハマったアート本  平林享子
(22)「ガール」、この麗しく不思議な生き物に翻弄されるハンバートの快感!
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市川実和子、eri、東野翠れん著『縷縷日記』2006年3月、リトルモア、
1700円

 女の子。ガール。乙女。なんという不思議な生き物なんでしょう。市川実和
子、 eri、東野翠れんの3人のガールがつくった濃縮ガール100%の『縷縷日記』
なる書物を見てトランス状態に入りました。手書きの文章に、写真、パッケー
ジやシールをコラージュし、イラストを織りまぜ、ガーリーでラブリーでヘブ
ンリーな世界がどこまでも展開しています。3人の間で3年前からやりとりさ
れていた交換日記が元になっているとか(ただし、この本に収録されているの
は、このために制作された日記だそうです)。嗚呼、交換日記! それはガー
ルにしか許されない行為です。市川実和子主演、eriスタイリング、東野翠
れん撮影による写真物語なども収録されています。この魅惑の世界を本の宇宙
に見事に閉じ込めたアートディレクションは、植原亮輔さんです。

どんなにがんばっても、この眩しく満ち足りて完結した世界は、私のような
非ガール族には永遠に真似できない。性別は同じFEMALEであっても、GIRLは
特別な生き物。 だからこそ素直に憧れてしまうのでした。沼田元氣さんによ
って続々と生み出されてきたガール感溢れる美しいヴィジュアル本のラインナ
ップがありますが、男性の手による憧れとファンタジーとフェティシズムで織
り上げた濃密なガールの世界を、ガール自らがつくりだしたように感じました。

 雑誌「SPUR」6月号でこの3人にインタビューしたのですが、写真の撮影中
も、誰かが歌を歌い出すとすぐに重なって歌い出し、誰かが絵を描き出すと、
ほかのふたりがそこに絵を描き足してどんどん広がっていくのです。そんな光
景を見ていると、ふーっと気が遠くなりました。夏のまばゆい陽光の下、美し
い三姉妹と一緒に乗ったボートの上で、末っ子のアリスを主人公に『不思議な
国のアリス』を語りだしたルイス・キャロルは、きっとこんな気持ちだったの
ではないでしょうか。あるいはロリータに翻弄されながらも恍惚に震えるハン
バート・ハンバート……。この甘美で残酷な毒に痺れて死ねたら本望……。そ
んな身悶えるオジサンの気持ちをたっぷりと味わうことができました。

 ガーリーといえば。穂村弘さんも、見かけによらず非常にガーリーな男性で
した。やはり「SPUR」6月号でインタビューさせていただいたのですが(新刊
『にょっ記』について)、「オリーブ」や中原淳一の「それいゆ」が大好きだ
そうで、まるで短歌を詠むように、お気に入りの「オリーブ」特集タイトルを
いくつも諳んじておいでだったのには驚きました。

〈ひらばやし・きょうこ〉
編集者&ライター。クローバー・ブックス主宰。北尾トロ、高野麻結子編著
『新世紀書店 自分でつくる本屋のカタチ』(ポット出版、4月20日発売)の
中で、『本屋さんの仕事』(平凡社)を編集しながら考えたこと、感じたこと
についてお話させていただきました。
http://www.cloverbooks.com

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■もっと知りたい異文化の本  内澤旬子
(26)イラクの図書館の絵物語
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『バスラの図書館員』ジャネット・ウィンター/絵と文、長田弘/訳、晶文社、
1600円

 もともと「ニューヨークタイムズ」に載った記事をもとにして作られたそう
です。イラクはバスラの図書館の本をこっそり自宅に運び出した女性の話。9
日後に図書館は炎上。そもそも本というものは今ですらもこつこつと時間をか
けて作られるものなので、燃やされると聞くと切ない。

 彼女の家にかくまわれた本は約二万冊。つい先日五万冊の書庫にお邪魔した
ので、だいたいの物量は把握でます。マンションでもガンガンに積めば入る量
です。ホントに絵の通りに詰め込んでるんだろうなあ。
 彼女が図書館にわざと残して来たのはフセインに関する本。個人的には後世
に残す資料としてそれも取っておいて欲しかったと思いましたが、捨てたい気
持ちが勝ったのもいたしかたなし。

 この本を買うと売り上げの一部がバスラの図書館再建の資金に回されるそう
です。私も往来堂書店で既に予約してあるので、ちゃんと自分でも買うつもり。
絵もとてもセンスよく、辛気くさくなく。

 となりのイランの聖地マシュハドの図書館では、本たちはシーア派イスラム
財団にしっかり守られ、保管されている。想像を超えるゴージャスさでね。ま、
資本主義国の本は選別されているでしょうけども。でも、ね、アメリカ、いつ
イランと喧嘩するかわからないからなー。

 以前にヴェネツィアのゲットーで、ハガダーのファクシミリ版というのかな、
復刻版を買ったことがある。本体はサラエボの図書館に保管してある写本だっ
たのだ。今頃爆撃されてもうないだろう、と言われて本当に悲しかった。で、
クレジットカードで買っちゃったんだよなー。

 人はどうしても感情移入しやすい分野があるわけでして、それはどうしよう
もないのだなア。すこしばかり恥ずかしいと思いつつ、やはり図書館再建には
他のなにを置いても少しばかりでも手を差し伸べたいと思うのであった。
 置きっぱなしにしてきているいろんなことに、心の中で謝りながら。

〈うちざわ・じゅんこ〉
今回の文章は、ブログ「内澤旬子・空礫日記」からの転載です。
http://d.hatena.ne.jp/halohalo7676/

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■林哲夫が選ぶこの一冊
(22)死者は生者のなかに生きている
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杉本秀太郎『半日半夜』講談社文芸文庫、2005年

 大阪の中尾務さんが出している個人雑誌『CABIN』8号が届いた。そこに
「富士の裾野」という杉本秀太郎が富士正晴にまつわる思い出を綴ったエッセ
イが掲載されていた。一読、喫驚した。うまい。見事な作品だと思った。とく
に個人的な興味から言えば、大槻鉄男の死に触れた箇所が、なんとも印象的だ
った。

《七九年一月十四日に大槻鉄男が死んだ(VIKINGの同人であった)。翌日の午
前十時頃、電話をかけて知らせると、富士さんは間髪を入れず、
 ――自殺やろ。
 と応じた。表向きは急性心不全。それで通すことに内々の取り決めをしてい
たが、富士さんに隠すことは無用であった。》

 大槻鉄男は『クラウン仏和辞典』(三省堂、1978)の編者である。この辞書の
奥付には多田道太郎や山田稔といった錚々たる編者が名を連ね、連ねるだけで
はなく、「はしがき」によれば、彼らが延々と338回にのぼる討議を繰り返した
ことが特筆してある。どうやら大槻の筆らしい。そして大槻が自殺したのはこ
の辞典が完成を見た翌年であった。

 三月末、久しぶりに坪内祐三さんたちと飲む機会があった。話がたまたま
『CABIN』8号に及び、坪内さんが「富士の裾野」を絶賛した。

「杉本さん、すごかったよね。随筆の力っていうのを見直した、それぐらいす
ごい随筆だった。このところ、ずっと、山田稔がこう(左手で上昇カーブを描
く)なってたけど、これで杉本さんがぐっとトップに躍り出た感じ。ここ一年、
いや、五年間で一番の作品だ」

 まったく同感だ(むろん坪内さんの遥か足許にも及ばない読書量で、五年間
云々はできっこないが)。とは言っても、筆者が杉本秀太郎の忠実な読者だと
いうわけではない。『半日半夜』が文芸文庫から出たことすら知らなかった。
同時発行の小山清『日日の麺麭・風貌』ばかりが話題になって『半日半夜』に
ついて誰も何も言ってくれなかったせいもある。
 
 ちょっと脇にそれるが、用美社という出版社が久々に加藤一雄を復刊すると
いう話があって、たまたま、知人を介して社主の岡田氏とお会いした。聞いて
みると「蘆刈」と「無名の南画家」を合本として出そうということらしい。

「それならぜったい、杉本秀太郎に序文を頼むべし」、勝手な思い込みで提案
した。杉本には加藤一雄について書いた「西国記」(『パリの電球』岩波書店、
1990年、所収)がある。杉本はかつて用美社から出た大冊『京都画壇周辺』を
読んで目眩がするほどの感銘を受けたという。その序文は富士正晴が筆を執っ
ている。今なら杉本しかいないだろう。

 その会見の後、岡田氏に三月書房を紹介するということになり、案内したの
ではあったが、紹介するも何も、店主の宍戸立夫氏は用美社についてもアンテ
ナを張り巡らしておられ、すぐに話は通じたのであった。そのとき宍戸さんが
「杉本さんならお元気ですよ、『考える人』(新潮社)にものすごく面白いこ
と書いてはるよ」ということで、序文も引き受けてくれるはずとのお墨付きを
いただいたわけであって、目下、その加藤一男の小説集ももちろんだが、杉本
秀太郎の序文がとても待ち遠しい気分なのである。

 ついでと言っては失礼だが、三月書房で購入したのがこの『半日半夜』だっ
た。同時に『みすず』535号読書アンケート特集も買った。ざっと読み流して
みると、『半日半夜』を二人の人物が挙げているではないか。山田稔と原章二。
持つべきものは友である。

『半日半夜』は粒より、杉本の精髄みたいなもので、どれを採っても素晴らし
いが、ここでは「手紙の返事」という十六行ばかりの短文を推奨したい。見知
らぬ大学生から長い手紙がくる話。人生が生きるに値するかどうか疑問だ、な
どと書いてあって、つい葉書で返事を出してしまう。すると折り返し、またも
や長い返信が届く。まったく手応えのない内容だったが、一言、返事はもっと
わかりやすい文字で書いてくれという注文が添えられていた。バカモン!

 ただ、実際のところ、その大学生の苦情は、当たっていないこともない。か
つて一度、冒頭に書いた中尾さんから杉本の葉書を見せられた。書面中に触れ
られている大田黒元雄の著作について尋ねられたのだ。達筆というのとも少し
違う、しかしなかなか良い文字で、右に左にふらつきながらもバランスを崩し
ていない、なんとか一枚欲しくなるような葉書であった。決して悪筆ではない。
ただし、少々読みにくい。

 私信と言えば、『半日半夜』巻末の阿部慎蔵による解説には、阿部宛の私信
が二点引用されており、そのエッセイとはやや異なる、くだけながらも、きわ
めて美しい散文詩のような表現に目をみはるのである。この文章に出会えただ
けでも『半日半夜』を買った甲斐があった。さらに自筆年譜も簡潔な一種の作
品と言えよう。一九七九年(昭和五四年)四八歳の項はこう書き始められている。

《一月一四日、親友大槻鉄男急死。》

 死者は生者のなかに生きている……この言葉を久々に思い出した。

〈はやし・てつお〉
6月に「林哲夫が選んだ書肆アクセスの本」フェアを開催します。そのころに
は新著『文字力100』(みずのわ出版)もできているはずです(ビミョー)。

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■全著快読 梅崎春生を読む 扉野良人
(8)空腹のやり切れなさ
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『B島風物誌』河出書房、1948年  

 梅崎春生の小説はいつもやり切れない気持ちがただよっている。その最たる
やり切れなさは空腹で、たいていの作品の主調低音として響いている(「桜島」
はちがった、かな)。ほんとうに梅崎は食いものの描写が多い作家なのだ。
『飢えの季節』という作品集まであるくらいだから、戦後の食糧難で体験した
飢餓感が骨身にしみたのか、それとも持って生まれた根源的な食欲なのか、ど
うも梅崎は後者のような気がする。もっとも食いものの描写が多いといって、
彼にはグルメ志向はなかった。どちらかというとB級グルメ的である。ただほ
んとにうまそうに書く(と、同時にまずいこともよく書いている)。いまわた
しは「梅崎春生食いもの描写事典」を構想中なのだ。「チャンポンの具のイカ
の脚をつまんで食べていた。イカは新鮮で、しこしこしてうまかった」(『幻
化』)、まぁ物語の雰囲気もあるから描写をぬきだすだけではむつかしいかも
知れないが、読んでてチャンポンが食べたくなったのは確かだ。

「B島風物誌」はB級の「B」ではもちろんないが、「B」のひびきに梅崎的
なあじわいが込められている。小説では飢えて密林においつめられた兵士たち
のやり切れなさが描かれ、全体としてタイトルの印象強さに及ばないところが
すこし残念だった。戦後デビューしてから梅崎は兵隊小説ばかり書いた。『桜
島』(昭22、24)以来、『日の果て』(昭23、26)、『B島風物誌』(昭23)『ルネ
タの市民兵』(昭24)は表題作=兵隊小説である。たぶん求められたところで、
彼は「桜島」「日の果て」を越える兵隊小説を書きあぐねていた。「日の果て」
「B島」「ルネタ」はフィリピンから復員した兄の話に触発された。外地経験
のない梅崎は南方の風景描写などは想像にたよっている。そのせいかジャング
ルの描写などは平板になる。

 ただ、やはり食いものの描写には目をひく。おそらく梅崎は自身の空腹感か
ら、どんな状況でも食うことの実感だけは精密に取りだせるのだろう。
「草の葉を食べて戦ふブリアカ戦線」では、ジャングル野菜というものを飯盒
でたきこんだ水煮が主食だった。そんな塩も入れない水煮でも飢えた頭には
「おれは口腔のなかで、もはや煮えた葉を噛みしめる感触を予想し始めてゐる。
腹がぎゅつと収縮する。」「ふしぎなことだが、おれたちに肉体的な空腹がも
つともはげしいのは、食べた直後の数分間だ。眼球がうちに吸ひこまれるやう
な強い食欲が、猛然と胃をつきあげてくる。そしてそれが次第に沈みこみ、鉛
のやうに重い飢餓感になって、一日中つづくのだ。その絶え間ない飢餓感が、
おれに内的な虚脱をもたらしている。」

 飢餓の体験のないわたしたちには、ただそうなのかとうなずくしかないけれ
ど、つきあげるような空腹は味覚の予想を敏感にうながす究極のグルメなのか
もしれない、と思ったのが次のような描写。
「河の近くででんでん虫を三匹みつけて食べた。それは淡雪のやうに舌の奥で
溶け、蕊のやうなものだけが咽喉におちて行った」「おれの舌はミミズの中に
も塩の味を探りあてた」

 さて「B島風物誌」では最後に、発狂して倒れた兵士の屍体から尻の肉が切
りとられる事件が起こり、ふたりの兵士が処刑される。それはもはや「嘔きた
い気持ち」でしかなかった。

(こんどはおれの番だな)と死をまつ静かな心境と、現世的な生死をかけた食
うことへの欲求と背中合わせにあることが、あるやり切れなさとなって現れて
は消えることを、冷めた目で風物でもあるかに見ようとするところに、梅崎春
生の人間観がひそんでいるらしい。
 
〈とびらの・よしひと〉1971年生まれ。『B島風物誌』には「輪唱」という
大好きな一篇が入っている。カロという猫が登場する。カロのことは、またべ
つの機会に書いておきたい。

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