[書評]のメルマガ

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[書評]のメルマガ vol.292
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■■ [書評]のメルマガ           2006.12.15発行

■                     vol.292
■■  mailmagazine of book reviews  [ 師走も読書 号]
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[CONTENTS]------------------------------------------------------
★近事雑報「南陀楼綾繁のホンのメド」
 →本をめぐる情報+アルファの雑談です。今回は関西ネタが多し。
★緊急寄稿「わたしは果してストーカーであろうか?」山崎邦紀
→尾崎翠作品の映画化を決意してからの9年間の「闘争」の過程。
★「真駒内石山堂通信」杉村悦郎
 →山口瞳熱愛者と永倉新八のひ孫。二人がお伝えする札幌の本事情。
★「女ともだちの本棚」鶯谷万亀子
 →某人文出版社の辣腕編集者による過去と現在が交錯するエッセイ。
★「今月ハマったアート本」平林享子
 →見れば見るほど驚きに満ちた縄文土器の造形を読み解く本をご紹介。
★「もっと知りたい異文化の本」内澤旬子
 →アメリカ人ジャーナリストの体験ルポ。育てた牛が肉になるまで。
★「渡辺洋が選ぶこの一冊」
 →小池昌代の詩は、瞬間的に「声」をきらきらと立ち上げてくる。
★寄稿「寄稿 中公文庫33年の夢ものがたり」吉田勝栄
 →『中公文庫解説総目録1973〜2006』の「ものたりなさ」を検証します。
★「全著快読 梅崎春生を読む」扉野良人
 →休載です。

*本文中の価格は、表示のあるもの以外は、税抜き(本体)価格です。

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■南陀楼綾繁のホンのメド 
新刊、古書、マンガ、雑誌、ウェブサイト、書店、イベントの近事雑報
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★中国のブックデザイン作品が一堂に
 神保町の〈竹尾〉見本帖本店で、「華彩書香(はなやぎ、いろめき、かおり
たつ、しょもつ)−当代中国的書籍設計ー」と題する、中国のブックデザイン
展が開催中。 ブックデザイナー・呂敬人さんの作品を中心に、現在活躍中の
デザイナーの作品を展示しています。
「中国のブックデザインは、近年、目を見張る展開をみせています。伝統とい
う豊かな鉱脈を掘りおこし、本を手にする人々の五感を触発するさまざまな工
夫が施されている。造本ボキャブラリーが貧困になりがちな日本の出版界に再
考をせまる、豊かな造本の試み、その一端が展示されます」(杉浦康平)

2006年11月28日(火)〜12月22日(金)
10:00〜19:00(土・日・祝休)

竹尾 見本帖本店2F
千代田区神田錦町3-18-3
TEL: 03-3292-3669

★「宮武外骨展 もう一人の外骨」展
 宮武外骨(みやたけ がいこつ)は、慶応3(1867)年、現在の香川県に
生まれました。明治20(1887)年に「頓智協会雑誌」を創刊します。以後、明
治から昭和にかけて、ジャーナリズムや雑誌編纂の世界で「過激にして愛嬌あ
り」の精神で活躍します。生涯、反権力を貫き、筆禍による入獄は4回、罰金・
発禁は29回に及びました。
 昭和2(1927)年、外骨は東京大学・明治新聞雑誌文庫の初代主任となり、全
国の新聞・雑誌の収集活動に専念しました。
 いわきで同じように「時勢の進化を伴う文化の変遷状態を研究するため」と
地域新聞・雑誌を収集したのは、三猿文庫(さんえんぶんこ)の庫主・諸橋元
三郎でした。この「もう一人の外骨」は、外骨発行本の古くからの購読者でした。
 本展では、外骨の波瀾万丈の生涯とユニークな出版物を紹介します。
                            (サイトより)

日時:11月18日(土)―2007年2月18日(日)
場所:草野心平記念文学館
開館時間:9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜日、2月13日(2月12日は開館)、12月29日〜1月1日

〒979-3122
福島県いわき市小川町高萩字下夕道1−39
TEL 0246(83)0005
http://www.k-shimpei.jp/

★森元紙芝居VS幻活映画
明石の個人出版社・幻堂出版の主宰で、漫画家・森元暢之さんの紙芝居と幻
活映画(幻堂映画部門)の上映があります。ゲストの紙芝居もあるとのコト。
「騙されてはいけません、ひたすら紙芝居出演者・音楽伴奏者やら映画映しが
楽しむよーです。こんな観客置き去りかも知れない、ひどいイベントがこの世
に存在していいのか…もちろんいいのだ」(幻堂・なかのしげる)

企画・進行:幻堂・なかのしげる
出演:森元暢之(絵と朗読)、たらすな(音楽)、赤土輪(映写・日本のエド・
ウッド)
ゲスト:山井逆太郎(どうどう新作発表なるか!予定)、青木かおる(前作ヴ
ァージョンアップ150%だ!?)、本町靱(うつぼ)(幻堂イベント初登場・
音楽自演の紙芝居!)、カタリーナ元町(森元暢之新作なるか?「ゴシック雪
女」ピアノ・予定)

幻活上映作品(予定)
「実録猟奇娘・激突!蛇婆ァ」「短縮版・走れ!ロマンよ」「新実録猟奇娘・
オクトパスよ永遠に」「東洋の怪人・二〇加王襲来」です。すべて8mm映画・
計約1時間。

場所:猫町西村 06-6417-4560  JR立花駅徒歩7分
日時:12月17日(日)午後3時開場 3時半開演 
1500円(ドリンク代別・駄品付き)

幻堂大本営発令
http://d.hatena.ne.jp/maborosido/

★葉山でコラ・コンサート
 西アフリカの民族楽器、コラのコンサートが、葉山の〈doucement〉で開
催されます。ヒロさんの繊細で柔らかな歌声とともに、皆さんも一緒に楽し
みましょう。

African Harp KORA mini concert
12月23日(土) 17:00〜
12月24日(日) 15:00〜

演奏:hilo KAWAGISHI (vo, Kora他)
場所:doucement(ドゥスモン)
葉山一色郵便局3階   
charge: ¥3,500(+1drink)

doucement
神奈川県三浦郡葉山町一色1999−4 葉山一色郵便局3F−B 
tel/fax 046-876-0832

★tea&library CORENOSに古書店「百窓文庫」が期間限定でオープン中
神戸の山手のブックカフェ・コリノスで、古本好きのO氏が蔵書を放出。お
茶をしながらゆっくりと気にいった本をお買い求めいただけます。ちかくには
兵庫県公館や神戸栄光教会、有文堂書店があり、ルミナリエで混雑する居留地
より、のんびり散歩できそう。

神戸市中央区中山手通4-1-11 神戸ユージハウス 202
078―322―0510 
月〜金 12:00-20:00 土・祝日 14:00-20:00
定休日:毎日曜日

★「ちんきの夕べ」
神戸・元町の〈ちんき堂〉で行なわれる、今年最後の「ちんきの夕べ」。前
回は「1960年代はおもろいのか?」というテーマで、店主の戸川さんが一
時間半もしゃべったそうです。今回は「本やレコードを手にしながら、197
0年前後のポップカルチャーについて好き勝手しゃべることにします」とのこ
とで、またまたおもしろそうです。

12月23日(土) 
午後7時から 入場無料
ちんき堂 http://d.hatena.ne.jp/chinkido/
〒650-0022 神戸市中央区元町通1−11−8千成堂ビル2F(元町穴門筋)
078-332-3036  12:00〜20:00 水曜日定休

★新春街頭紙芝居
絵はすべて絵師による手描きの1点もの。本当に子ども向け? と思われる
ようなオドロオドロシイ世界や不条理な世界が広がるのも街頭紙芝居ならでは。
「大人のための紙芝居」です。

紙芝居師:古橋理恵さん

2007年1月13日(土) 20時30分〜
入場料:500円(水アメ・カタヌキ付き)
場所:トンカ書店
650-0011 神戸市中央区下山手通3−3−12元町福穂ビル2D
078−333-4720(TEL&FAX)
なお、ココに載せられなかった新刊、イベントなどの情報は、随時以下に
掲載しています。ときどきご覧ください。
「ナンダロウアヤシゲな日々」http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/

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■緊急寄稿 わたしは果してストーカーであろうか?  山崎邦紀
尾崎翠作品映画化の9年
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尾崎翠の最後の短編3本「歩行」「こほろぎ嬢」「地下室アントンの一夜」
を併せて映画化した『こほろぎ嬢』が、お正月の4日からシネマアートン下北
沢でロードショー公開される。しかし、翠の愛読者の多くは、浜野佐知監督に
何かしら胡散臭さを感じているのではないか。ピンク映画300本超というイカ
ガワシイ監督と、あの儚く幻想的な寡作の作家と、いったい何処に接点が? 

一方わたしは、浜野組の脚本担当だが、時折ピンク&ゲイ映画の、ささやか
な監督でもあり、脚本を書くのは浜野組と自作のみ。一人前の脚本家とは到底
言い難い。そんなわたしが8年前の『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』も、今
回の『こほろぎ嬢』も書いた。イカガワシサがいっそう募るというものだ。

もっぱらピンク映画をせっせと量産してきた浜野監督とわたしが、一転して、
唐突に尾崎翠の代表作「第七官界彷徨」と、翠の後半生の映画化に取り組んだ
のは、1997年のことだ。初めて打ち明けることだが、浜野監督ともピンク映
画館の観客とも縁を切って、自分だけの映画を撮ってみたいと思った瞬間が、
わたしには一度だけある。その時、脳裏に甦ってきたのが、野中ユリ装釘の
『尾崎翠全集』(79年創樹社)だった。

資金も実行力もないわたしの夢想であったが、密かに脚本の準備を始めた。
そこにいきなり浜野監督から「自主映画をやるぞ。企画を出せ」という指令が
きた。東京国際女性映画祭の記者会見で「日本の女性監督で最多本数を撮った
のは、田中絹代の6本」という公式発表を聞き、怒髪天を突いたらしい。あた
しの300本はどうなる! まあ、田中絹代の映画とピンク映画を同列に並べる
方がおかしいのだが、そうした常識が通用しないのが監督という人種だ。

もしかしたら、尾崎翠の映画化が実現するかもしれない。わたしは浜野監督
に筑摩書房から出ていた文庫版日本文学全集の『尾崎翠』の巻を読んでもらう
と同時に「日本海少女論」という長い企画書を書いた。少女論が流行りだった
が、むさいオッツァンのくせに、わたしは少女マンガ、なかでも大島弓子ファ
ンで、尾崎翠との間には密接な親近性を感じていた。

その後の進行は、浜野監督の『女が映画を作るとき』(平凡社新書)に詳し
いが、わたしの稚拙な脚本を理由に映画化をツブシにかかったのが、全集を編
集した文芸評論家・稲垣眞美氏だ。浜野監督が尾崎翠を自らの血肉としたのは、
皮肉にも翠の権威を任ずる氏との映画化権をめぐる凄まじい暗闘のなかであっ
た。遺族は当初、恩人として稲垣氏の言に従っていたが、徒手空拳で闘う監督
に理があると判断し、契約書にサイン。それからは心を許し、亡き伯母さんの
エピソードを語って、稲垣氏経由ではない、新たな翠像が浮かび上がってきた。

稲垣氏が執拗に映画化を阻もうとしたのは、実は他のプロダクションに翠の
全作品の映画化権を売り渡すためだった。ちょうどその頃、氏は尾崎翠全集の
創樹社から筑摩書房へのトレードを強行する。経営的に傾いた際の印税未払い
という創樹社の問題もあった。筑摩書房の『定本尾崎翠全集』上下巻は、映画
の完成ともつれ合うように98年秋に刊行された。

創樹社版では藤田省三、山田稔、岩波書店校閲の田中禎孝といった協力者が
あったが、稲垣氏の文字どおりワンマンとなった定本全集には、実に問題が多
い。発刊準備中に稲垣氏が、翠の親友、松下文子の遺族から入手した「朱塗り
の文箱」に入っていた一群の原稿がある。稲垣氏は、すべてを尾崎翠作として
「新発見!」を謳い、新全集の呼び物としたが、いろんなペンネームで書かれ、
なかには松下文子の署名のものまであった。

全集に恣意的に収録した後、残した中から『鳩よ!』99年11月号の尾崎翠
特集に、未発表作品として麗々しく見開きの写真まで入れて発表したのが「エ
ルゼ嬢」だった。これが研究者の指摘で、シュニッツラーの翻訳草稿であるこ
とが明らかになる。署名のある文子の原稿であった可能性が高い。翠の遺族も
「これは伯母さんの字ではない」と証言している。稲垣氏の言うところの「テ
キスト・クリティーク」が、まったく当てにならないのだ。

定本全集の無意味に長い「解説」にも、明らかな捏造がある。恋人とされる
高橋丈雄との破断した関係について、ピンク映画顔負けの情痴小説じみた描写
を展開しているが、わたしは昨年、高橋が米子の商工会議所の旧友に宛てた手
紙のコピーをたまたま入手し、翠との事件をテーマにした小説があることも判
明した。それらの手紙や小説によって、二人の関係が、翠のミグレニン中毒の
渦中に発生した、性的関係さえあったかどうか疑わしい、作家同士の神経のも
つれた突発事であったことが分かる。二つの全集の「解説」を読み比べると、
書くたびに尾ひれがつく稲垣氏の手法が明らかだ。

「新発見・全集未収録作品集」を謳った単行本『迷へる魂』(04年)もまた、
信憑性の薄い作品が紛れ込んでいる可能性が高い。創樹社版で見送られた作品
が、なんの新しい裏づけもなしに翠作品と判定されている。尾崎翠に関し、筑
摩書房は稲垣氏との二人三脚をやめない限り、客観的な出版は望めないだろう。

 鳥取県支援事業として実現した今回の『こほろぎ嬢』まで、すでに8年。そ
の間わたしは稲垣氏相手の一人相撲を続け、HPやブログで批判を書き継いで
来た。南陀楼綾繁氏には「ストーカー的」と評されたが、わたしは果してスト
ーカーであるか? よろしい。稲垣氏の妄想を付け狙うストーカーなら、本望
である。

★『こほろぎ嬢』ロードショー
シネマアートン下北沢
2007年1月4日(木)〜1月19日(金)
上映時間=1:30/3:30/5:30
前売り券=1,500円
インターネットのお申し込みは旦々舎。
http://www.h3.dion.ne.jp/~tantan-s/
劇場での購入はシネマアートン下北沢。
http://www.cinekita.co.jp/
当日券(劇場のみ)
一般=1,800円/学生1,500円/小・中・シニア=1,000円

〈舞台挨拶&トーク〉
浜野監督は毎回出席。時間は4日のみ1回目の上映前、 後はすべて3回目の
上映後。日替わりでキャストの舞台挨拶があり。

★第8回西荻ブックマーク 映画『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』上映会
1月13日(土)13:30開場/14:00〜上映&浜野佐知監督トーク
西荻地域区民センター・勤労福祉会館ホール
https://www.yoyaku.city.suginami.tokyo.jp/HTML/0031.htm
前売1200円/当日1500円・払い戻しなし
主催:西荻ブックマーク実行委員会 
http://neko2.net/nbm/

〈やまざき・くにのり〉1948年生まれ。ピンク映画&「薔薇族」映画監督。
「こほろぎ嬢」お正月ロードショーのチケットを、泣きながら売って歩いて
いる。
http://www.7th-sense.gr.jp/

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■真駒内石山堂通信〔番頭篇〕 杉村悦郎
(10)「シンサッポロ」創刊号を読む
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雑誌「シンサッポロ」の話のつづき。今回は創刊号の雰囲気を少しでも伝え
たい。

巻頭を飾るのは主幹・島田新次の「日本カフエー史 草稿=その一節 カフ
エー受難期」。日本で最初にダンスを入れたカフエー、大阪の「コテーヂ」の
話に始まり、カフエー業界の規制を求める大阪商工会議所の攻防を詳細にレポ
ートしている。当初は「ダンスの料金は一回十銭としてテケツ(チケットね)
制度を採った」とか。堂々12ページで、「以下次稿」とあり、まだ札幌のカフ
エー情報は登場しない。刮目して次号を待とう!

この長篇の合間に登場するのが女給さんによる短歌爛「ジヤヅ明暗調」。じ
ゃあ、カフエー「太陽」の京子さん(顔写真入りだよ)が詠んだ一首を引いて
おく。「杯のふれあふ音も さざめきも 遠くきこゆる もの思ふとき」。な
んか、明星派っぽくない? (待ち人来たらずの)ボックスシートで物思いに
ふける京子さんの憂いの表情が浮かんでくるではないか。

次いで女給さんと敵対関係になる家庭婦人の意見も。殿村萬亀子さんからの
読者投稿(のスタイルになっている)。タイトルは「奥さん達と仲良くしませ
んか」。書き出しがいい。「『萬国の家庭婦人よ、団結せよ、夫のポケットを
搾取する、カフエーを打ち潰せ』といふスローガンを掲げる『家庭婦人総同盟』
でも結成されたら、いの一番に入党するものをと、今日も私は考へこむのです」
云々。女給さんは「エロを必要以下に縮めて下さいな」。そうなれば、「私は
言ふでせう。『ネーあなた、憂鬱を払ひ落していらつしやいよ、今日はモーシ
ョンデーでせう。○子さんによろしくね。チップを張りこんでいらつしゃい』」
だって。ほんとは、これ、全文紹介したい。

他にも、春に病没したばかりの妻を偲んで、ススキノのカフエー「ミミー」
の経営者・日野智信が書いた「私の妻は私のミミーでした」。美満寿館(南5
西3)で妻と一緒に観た『ボへーム』(昭和3年、リリアン・ギッシュ主演
『ラ・ボエーム』が日本で封切られている)に感動! 店名は(別案は「ドパ
リ」だったが)そのヒロインの名前から採ったという。

西出孝次が書く「カフエー・フアンの恋と典型的なる或る予科生の話」。内
容は割愛するが、これを読んで、なにかに似てる!と考え、わかった。週刊新
潮の名物連載「黒い報告書」。エロ・グロ・ナンセンスの時代と言っても、“エ
ロ”の限界はこのあたりなんだろうなあ。

島田の「メニュー文章」も面白い。「ワインレスト(というか、カクテルメ
ニューなのだが)に表はれたコクテール文学、それは食欲をそゝらせるに頗る
効果的である」と書く。例えば、「ナインテヰ・トエンテヰ・ピックミーアッ
プ」というカクテルは「『十九、二十の娘さん私に惚れて頂戴よ』ジャズった
飲料甘露で強い。丁度彼の女やうに」というコピー(じゃなかった、コクテー
ル文学)を誉め上げ、札幌における“コクテール文学”の創始者は狸小路でサ
ロン「夢」をやっている武田幸夫君というのだが(これって、だれ?)。

さて、創刊号を読んで、私は確信をもって断言したい。ほとんどの原稿は島
田新次が書いている(言葉遣い、文章のリズムやトーンとか)。なかなか侮り
がたい才人だ。

〈すぎむら・えつろう〉会社員
週刊朝日で連載中の「週刊司馬遼太郎」がMOOKになって発売中。内容は連載
時と同じですが、カラー写真(私も4色刷りで笑ってます)になっているのが
ミソ。立ち読みを。

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■女ともだちの本棚  鶯谷万亀子
(10・最終回)女ともだちのそれから
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 誰かと息の長いつきあいになることと、一瞬の情の交換になること、友情の
持続には何が必要なのだろう。すれ違いざまに残っていく匂いみたいに、その
ひとと会わないようになってからそのひとの気配を感じることがある。情や念
というものは、残ってありつづけ、わたしを苦しめる。
 息の長いつきあいの友だちとのあいだにはそういうやっかいなことがおこら
ないのがいい、と思う一方、常に頭を占めて考えつづけざるをえないのは、こ
ういうもう会わなくなってしまったひとについてのことだ。

 あの友だちは、いまどこで何をやっているのだろう。
 大阪のユカ。彼女のことは本当の名前も、年齢も知らない。もしかしたら、
ずっと年上だったのかもしれない。
 K君は仙台に健在。
 幼なじみFは大学を卒業後、道庁職員である「農業改良普及員」というモノ
になり、農薬を作ったり農産品の加工の指導をしたりしながら、たまの東京出
張のときには、わたしに北海道農業の未来を憂えたり、農協批判をしたり、グ
チをこぼしてくれた。そんなFは今月ついに結婚。仕事をやめて、川崎に大学
の同級生の夫と住み、近所のスーパーでレジ打ちのバイトをしているという。

 福岡から来たTはフランスに行ったあと、かなり紆余曲折をしながらフラン
スの大学を出た。化学の勉強をしたらしい。一度帰国した際、金沢文庫の親戚
の家に身を寄せているというので、会いにいった。一緒に行った男性は随分年
上で何カ国語も話し世界を放浪するインテリ系旅人だったが、その時連れてい
た年下の男性は、ジャパニメーション好きのおたく青年だった。不思議そうに
テレビの野球中継を観ていたそのフランス人青年をおいて、Tは帰りの駅まで
見送ってくれた。別れがたくなって金沢文庫の駅で二時間くらい立ち話してい
たら、親戚が心配して迎えに来た。Tとわたしが何を話していたかというと、
いったいわたしたちはこれからどうなるのか、という、高校時代と変わらない
テーマだった。わたしたちはどんな状況下でも、自分たちの未来についての関
心と情熱を失うことはなかった。

 Rさんにはしばらくして「絶交」された。「貸しているものを返してほしい」
という手紙が来たので、何冊かの本を送りかえした。わたしは彼女の流儀を理
解できなかったけれども、安心した。なぜなら、彼女は友人を、それまでに次
々と「絶交」していたから。わたしは彼女の「唯一の友人」になることを恐れ
ていたのだと思う。それからしばらくして、共通の友人から、彼女が精神的に
具合を悪くして生活保護をうけていること、そんななか結婚して子どもを生ん
だこと、などを聞いた。

 わたしはというと、大学に入って、映研で自主映画に出演したり、同時にフ
ェミニズム研究会で大好きなイリガライや、その当時は無名だったジュディス・
バトラーを読んでいた。恋人と別れてひと月で7キロ痩せたり、パレスチナ映
画の上映運動をやったり、フェミニストの隊列をつくってデモしたり、オルタ
ナティヴ音楽のミニコミを作ったりもした。大学を出てからは、川崎の予備校
で偏差値30台の高校生に無理矢理勉強させたり、大学院に入ったり、女性運動
の世界で寝ないで働いて職業活動家の道に入りそうになったり、別の道を探し
て映画配給の世界をかいま見もした。

 たしかに、これまで書かせていただいた、中学・高校時代から大学にはいっ
てしばらくの間、時期としては80年代後半から90年よりも、その後の人生の
ほうがあわただしく生きている。しかし人間関係をはじめとするあらゆるもの
に飢えており、おびえていた、濃密な時代にあったひとたちのことが格別愛し
く、気になっているのである。(完)
〈うぐいすだに・まきこ〉
1971年北海道千歳市生。NGO専従や映画配給会社を経て、人文系出版社編集。

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■今月ハマったアート本  平林享子
(24)縄文土器に込められた思想をユニークに読み解く、縄文先生の待望の処女作。
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田中基『縄文のメドゥーサ 土器図像と神話文脈』現代書館、2006年11月、
3200円

 民俗研究家の田中基さんは、私の縄文の先生です。今年の春、諏訪で初めて
お目にかかり、気さくでユーモアあふれ、縄文のこととなるともう夢中でお話
が止まらない田中さんの、すっかりファンになってしまいました。

坂本龍一さんと中沢新一さんの旅と対談のプロジェクト「縄文聖地巡礼」
(雑誌「ソトコト」http://www.sotokoto.net/top.htmlに不定期連載)では、
旅の仲間として参加してくださっています(私は編集と対談構成担当)。旅の
1回目が諏訪で、2回目は若狭・敦賀へ行きました(若狭・敦賀の巻は、「ソ
トコト」2007年2月号/1月5日発売に掲載されます)。

田中さんはかつてJICC出版から出ていた民俗学・考古学の雑誌「どるめん」
の編集長で、当時、にぎやなか「宝島」編集部のとなりで、ひっそりコツコツ
と「どるめん」をつくっていたそうです。縄文熱がこうじて諏訪へ移り住み、
井戸尻考古館を拠点に、研究活動をつづけています。そしてこのほど待望の初
めての著書を出版しました。それが『縄文のメドゥーサ 土器図像と神話文脈』
です。

八ヶ岳山麓から出土した人面香炉形土器は、表は少女のような顔、裏側はお
そろしい蛇のような顔をしています。それは創造と破壊をつかさどり、この世
に火を生み出す冥界の女王の姿。見れば見るほど驚きに満ちた縄文土器の造形
に注目し、田中さんは、そこに表現された縄文人の思想を読み解きます。さら
に世界各地の神話や、日本各地の民話・伝承とも照らし合わせて解釈を展開し
ていきます。

文章には、女神の女陰、女性器、子宮、男根、精液、性交といった単語が踊
っています。古代の人々にとっては、宇宙の神秘、生命エネルギーのメカニズ
ムを表現しようと思ったら、ごく自然に、女陰と男根の組み合わせになってし
まうのでした。そしてそれを語る田中さんの生き生きとした語り口といったら!

 私は人類学、考古学の面白さにやっと目覚めたビギナーなので、まだこの本
で書かれていることをちゃんと理解できているわけではありませんが、ピン!
とくる部分が少なからずあり、その断片が私の乏しい知識や体験、実感とつな
がっていき、たいへん刺激を与えてくれます。1度読んで終わりの本ではなく、
これから繰り返し、あちこちのページを開いては刺激を受ける、そんな本にな
りそうです。

〈ひらばやし・きょうこ〉
フリー編集者・ライター。
小倉紀藏・小針進編『韓流ハンドブック』(新書館、2007年1月下旬発売)と
いう本で、私の心を揺さぶりつづける韓国ドラマの魅力について、魂をこめて
書かせていただきました。

クローバー・ブックス
http://www.cloverbooks.com

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■もっと知りたい異文化の本  内澤旬子
(30)牛を擬人化するなかれ
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『私の牛がハンバーガーになるまで』ピーター・ローベンハイム 石井礼子訳、 
日本教文社、2004年、1857円

 十年近くかけて、国内外の屠畜について調べてきたわけですが、そのきっか
けはやはり、自分が口にしているものがどんなふうにして作られているのか知
りたいという理由がまあ、一番大きいです。現代社会において肉という食材は、
すべての過程が想像できるようにはなっていません。育てて殺して切り分ける
現場を、なるべく想像しないように、させないように、社会全体がしているよ
うに思えてならなかったわけです。

 屠畜の現場を隠したがる、その理由は日本固有の文化に関わるんだろうと、
勝手に想像していました。ところが、そういうわけでもないんだなということ
にだんだん気がつきました。結論として言えば、都市化が進んだ社会では、国
籍民族関係なく、屠畜の現場を遠く隔離しがちです。

 そして、それがどうも居心地悪いなと感じる都会の人間も、やっぱり私以外
にもいました。アメリカ人のジャーナリスト、ピーター・ローベンハイム。彼
は車でニューヨーク州郊外の牧場に通い、牛の誕生から肉になるまでをルポし
ようと思い立つ。で、自分が立ち会った人工授精から生まれた双子の牛二頭を
手に入れ、飼育を牧場に委託し、通いながら成長具合を観察し、大きくなった
ところで屠畜場に連れて行き、肉にして食おう(とまでは明記してない。肉に
するまで)と計画した訳である。

 長い時間かけてさまざまな現場に足を運んだだけあり、アメリカの乳牛飼育
事情が非常に良くわかります。例えば、アメリカの場合、肉牛はほとんど自然
交配なのだが、乳牛の場合は人工授精が主流である。ここまではちょっと調べ
れば分かる話だが、著者はさらに踏みこむ。そして、あんまりいい精子を出さ
ない雄牛が、種牛が射精するときにのっかる台牛として使われているとか、乳
牛の場合雄牛が生まれると、適当に大きくなったところで肉として出荷する以
外使い道がないもんだから、免疫力がつく初乳も与えられないうちに母親から
引き離されてしまうとか、いくら家畜とはいえちょっとかわいそうかも……と
思わせるようなディテイルを実に良く拾って来て書き連ねていく。もちろん人
間、牧場労働者の過酷な労働状況も細かに描き出し、敬意の念を払っているの
だが、やはり目につくのは牛を擬人化して注ぎ込む思い入れ。

 そう、この著者はどんどん自分の牛がかわいくなってしまうのだ。ルポをは
じめるきっかけは、アタシとそんなに変わらなかったはずなのに。そしてかわ
いい牛ちゃんを屠畜場に連れて行く日が近づいてきて、屠畜場につれていくの
を止めようか、でもそうしたら牧場の人たちの仕事を侮辱することになるので
はと、もやもやと悩みはじめる。もう読みながら何度「こんのチキンがあっ」
と叫んだことか……。

 ま、著者がいくらチキンだろうが、都会のインテリが考えることだからさも
ありなん(しかし丁寧な取材には本当に頭が下がる)と、読んでいた訳です。
ところが、病気の牛などを殺す仕事の男性が、自分の仕事内容を子供に隠して
いると答えたのには衝撃を受けました。

 アメリカは建国以来牛を飼ってきているし、入植者のほとんども先住民も、
先祖代々肉を食ってきた民族ばかりなわけで、これまでむしろなんの疑問も持
たずに大量に家畜を食利用してきた。それがこの五十年ぐらいで、都会化が進
み、動物愛護運動が広がり、家畜への残酷な扱いとともに、屠畜、つまり殺す
こと自体が、忌み嫌われるようになってきているようなのです。しかし現場の
人にまでそういう考え方が浸透しつつあるとは。

 本の後半では大学教授が、あと50年もすると屠畜をともなう畜産業種は消え、
人々は菜食だけで暮すようになるだろうとまでコメントする。たしかにこれま
でのような大規模な肉の消費は見直されるべきだと思うが、これまで培ってき
た肉食文化を捨ててゼロにできると思ってしまうアメリカ人って、なんなんだ
ろう、と頭を抱えてしまったのであります。

 つい先日も、トルコのイスタンブール国際空港で、パーサーたちが新しい機
体が到着したことを祝ってラクダを屠畜して話題になった。家畜を残酷に扱う
ことと、殺して肉を食べる営みは、本来全く別物なのだ。畜産と屠畜の現場か
ら遠く離れるほど、この二点は混同されがちとなる。自分が著者ならどうする
か、いろいろ考えながら読んでみることをおすすめします。

 私? もちろん二頭とも食べごろに殺して食べます! 情が移ってかわいそ
うで泣くかもしれないけど、食べます!!
 
〈うちざわ・じゅんこ〉イラストルポライター。
2007年1月下旬に解放出版社より『世界屠畜紀行』を刊行します。日本アメリ
カインドモンゴルなどなどの屠畜事情をイラストルポで紹介します。ぜひ読ん
で下さいませ。また刊行に合わせてトークイベントなどを行ないます。詳細決
まり次第ブログに載せます。
http:// d.hatena.ne.jp/halohalo7676/

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■渡辺洋が選ぶこの一冊
(24)微妙さをやりとりすること
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小池昌代『地上を渡る声』書肆山田、2006年月、2500円

−−いやあ、侯孝賢監督の「百年恋歌」、前作の「珈琲時光」に輪をかけてゆ
るかったですね。
−−けして嫌いなゆるさではないんですが。見る人が見れば、あの場面のショ
ットにぞっとしたなんてことも言えるんでしょうし。でも、そうした映画的教
養のない身でも言えると思うのは、侯孝賢さんはある空しさと向き合おうとし
ているんじゃないかなということ。
−−と言うと?
−−映画にせよ、音楽にせよ、本にせよ、記号的刺激があふれすぎてしまった
んじゃないか。表現する側も受け止める側も、ある限界に達してしまってその
先に行けない。今さら「革命」とは言わないとしても、地域活動とかボランテ
ィアとか、何か自分を現実の方に返していきたい欲求を私自身は感じたりする
んだけれど、そうした欲求と表現の地平の現在がもうほとんど接点をなくして
しまっている。そこで、なお表現を続けるとすれば、高揚感を求めるよりはひ
たすら平坦に、この現実と向き合って時間を過ごしていくことが必要だという
ような。
−−ムーンライダーズ(久しぶりにいいです)やボブ・ディランさん(声が渋い)
の新作をつい買って聴いてしまうという30年越し世代なりの感覚でしょうか。
−−うん、庄司薫さんの青春小説や青春論を読み直したり、石牟礼道子さんの
世界をあらためて細々と追いかけたり。「目新しさ」で気持ちを燃やして時を
しのいできた、どんづまり世代の反省もあります。もう50です。でも、私は
「タクローっ!」とは言わないけどね。誰だって「今日まで生きてきました」
だよ。

−−はあ。それで、小池昌代さんの詩集にどうつながるの?
−−「百年恋歌」は20世紀初頭、60年代、現代の3世代のカップルを同じ俳
優が演じて、男の甘えと身動きのとれない女の気持ちの微妙なやり取りのすれ
違いを描こうとして描き切れていないと思うんだけど、そうした微妙な世界だ
けをひたすら連作として(全34編)書き紡いでいったのが、この小池さんの
『地上を渡る声』じゃないかと思うわけ。

「わたしはすべてのものから遠い。自分からも。」
「わたしは川へ行く。ポケットには、岸辺から、重そうな石を選んでつめこん
だ。午後一時。/じっと見ていると川面が光りだし、わたしを誘う。領収書の
束と鳥の死骸が流れていった。」(ともに「1」より)
「数えるな/しゃがれた声は再び言った/日々を数えるな/生きた日を数える
な/ただ そこに在れ/そこにあふれよ」(「3」全行)

あるいは「11」に出てくる、ウクライナ民話の絵本に出てくる農夫の素足の
裏の土の汚れ。「15」に出てくる更地へのこだわり、「16」の入居者のまだな
い新築マンションの外から見えるがらんとした部屋の記述、「21」の少女のと
き、渓流釣りで釣り竿を流され「手の内がぱかっとからっぽになった」記憶。

「遠い国で てのひらに握った かどの妙にごつごつとした 雷のかけら/そ
れを/現実の堅い岸辺へ 生卵を割るように ぶつけてみよ/往ったり 来た
り/彼岸より 此の岸へ 此の岸より 彼岸へ/往復する/わたしからわたし
へ/けれど/そのどちらのわたしへも/到着するやいなや/たちまちはじかれ
て/わたしはいない どこにもいない」(「19」より)
「痛いことでしかつながれなかった。ひとをたたく自分の存外な力にわたしは
内心驚きながら、それでもたたくことをやめられなかった。/(なんだろう、
この力は、どんどん出てくる、どんどん加速し、ふくれあがってしまう、こわ
い、やめられない、この力)」(「24」より)

−−ラストの「34」で元旦の神社で焚き火でぬくもる記述の後、

「わたしは炭のような地味なものになって、心になんのよどみも持たず、ひた
すら澄みきって石段を降りていく。何が焼かれたのか。心の暗黒をじりじりと
焦がされて、炭になったあと、灰になったあと、吹き飛ばされて、わたしはい
なくなる。階段を下りていく、この身体は誰のもの。」

と書かれています。
−−うん、「心の暗黒」はあるのだけれど、それはひどく個別のもので書いて
もそれだけのものでしかない。むしろ、それが「焦がされて」「炭」に「灰」
になって、「わたし」が「更地」や入居者のまだいないマンションのように「か
らっぽ」になることが、つかの間の安らぎや「快」になる。その地点で表現は
今、やっと他者と会うことができるとでも言えるでしょうか。足の裏の土の汚
れや自分のなかからあふれてくる暴力の記憶をまだ残しながら。
−−その微妙さをやりとりすること、それもまた難しいことですね。「百年恋
歌」にしても、受け取る方もある覚悟を強いられる。
−−小池さんの詩のすごいところは、各編ごとに、難しい言葉を使わずに瞬間
的に「声」をきらきらと立ち上げてくるところ。読者は日常のちょっとした記
述と思わされながら、作品の世界に引き込まれてしまう、そこまではとにかく
書き抜いている。今後、この先に行けるのか、目を離せません。

〈わたなべ・ひろし〉詩人・編集者
心身ほかもろもろ今年はよくなかったです。それを笑える新年にしたいなあ。
http://www.catnet.ne.jp/f451/
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■寄稿 中公文庫33年の夢ものがたり
吉田勝栄
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 東京堂書店で『中公文庫解説総目録1973〜2006』を求めてはみたものの、
ものたりないと思った。われながら、すっかり「すれっからし」の本読みにな
ってしまったとおもう。あるいは、もともとそうだったのかもしれない。いず
れにしても、近ごろ読書の楽しみかたが素直ではない。

【たとえば】
 高橋輝次さんの旧著『古書と美術の森へ』(新風舎)は、風が吹けばページ
がバラバラになりそうなほど綴じが甘い、とおもいながら読み進めた。
《最近のベストセラー『「超」整理法』(中公新書)によれば、情報を時間軸
に沿って並べるのが革命的な分類法であるという。》[p9]という一節から、
坪内祐三さんの近著『「近代日本文学」の誕生』(PHP新書)を連想する。

 高島俊男先生の著作には教えられることが多いのに、ちくま文庫の新刊『水
滸伝と日本人』で、まっさきにチェックしたのは大正7年版の袖珍文庫『新編
水滸画伝』のページ数。先生は「262ページ」と記しておられる[ちくま文庫
版p270、大修館書店版p250]けれども、この版は袖珍文庫の既刊5冊を合本化
したものであり、「262ページ」というのは、5冊目の最終頁のみを採録したの
であろう(拙稿「袖珍文庫総目録(稿)」文献探索2005参照)。なんてことは、
些末主義の極みで、どうでもいいことではある。しかし、水滸伝のちょうど半
分が「文庫判の半分ほどのちっちゃな本」(四六半截判)の262頁に収まるかど
うかは、通り一遍じゃない校正者なら疑問を感じていいともおもう。

【話は転じて】
「中央公論校閲部の優秀さには定評があった。」[p59]と岡崎武志さんは書いて
いるけれども、「中央公論新社」の校正に、その定評はあてはまるのだろうか。
 校正の優秀さを誇るなら、安藤「更正」という誤植[p58]を見逃さないと
いうレベルではなく、たとえば、「座談会 中公文庫会読」の次のような不用
意な発言は、調査した上で、後注でもいいから、典拠を明らかにする努力をす
べきだと思う。

奥本大三郎
戦後すぐに文庫を出したのは、比較的小さいところですね。鱒書房とか。
[鱒書房は、新書だったような気がする。もっとも、外国文学者は、文庫も新
書も要するにpaperbackでおなじようなものだと理解しているのかもしれない。]

池内紀
岩波文庫は、いまよりちょっと背が高かった時期がありました。あれは、当時
の医学の見解で、視覚的にいちばん疲れないかたちとして、ちょっと行数を減
らして縦に字数を伸ばしたと言われています。兵士の近眼防止を唱えて軍部が
要請したとも聞きましたが
[近眼防止のため活字のポイントが大きくなって行数が減った話と、戦時統制
による規格統一により菊判截判からA6判に縮小した話をごっちゃにしている。]

【とはいえ】
 誤りを重ねてゆくのは人の世のならい。私は『文庫解説目録雑記帳』(書評
のメルマガ127号以下)で昭和5年11月現在版が最古の岩波文庫目録であるこ
とを前提に改造文庫(昭和4年2月創刊)の影響の可能性を示唆したことがあ
る。しかし、その後『日本古書通信』平成16年6月号p38の販売広告(あき書
房)に昭和3年7月版『岩波文庫目録』が登載され、現物は入手できなかった
ものの、他の傍証からその存在は確実なので、旧稿の私見はまさに空中に築い
た楼閣だったということになる。

【さて】
 肝心の目録本体であるが、岩波や新潮が既存の解説目録の文章に手を加えて、
解説総目録を公刊したのに対し、この『中公文庫解説総目録』は無料配布目録
の集大成のようである。かつて中央公論社版『日本の歴史』で歴史を知るよろ
こびを知った者としては、中公文庫の歴史を、目録自体が語るような構成を工
夫してほしかったとおもう。
 たとえば、目録の編成は刊行順目録にした上で、見開きの左側には、その月
の新刊書目に(印刷部数等を含む)詳細な書誌的データを添えて収録し、右側
には、その月の中公文庫のトピックをコラム形式で紹介する構成はどうだろう
か。トピックは、話題の新刊だけではなく、「マリー・クレール」事件なども
取り上げてよいだろう。それでは「目録」ではなく、『中公文庫月録』ではな
いか、という声もあろうが、そのほうが底抜けに楽しめるとおもう。

 コラムの書き手は、同時代を歴史的に展望することができて、中公文庫の書
目をよく読んでいるだけではなく、出版ジャーナリズムにも精通し、古本・新
刊の両刀遣いで、短い文章にも切れ味があり、ときに意地の悪いみかたができ
るような人がよい。
 このように書くと、読者のなかには、「意中の人」が思い浮かぶかたもいる
だろう。
 そう、東京堂書店ふくろう店に棚がある「あの人」。

【答えは】
 鹿島茂さんである。
 われながら、つくづく「すれっからし」になってしまったとおもう。

〈よしだ・かつえい〉 改造文庫(『ニッポン文庫大全』),近代文庫(『ARE』
7号),山本文庫(同誌10号)の目録を作成。そのほか,書誌,出版史を中
心に,若干の書評(『sumus』2号等)と文章を執筆。

--------------------------------------------------------------------- 
■あとがき
---------------------------------------------------------------------
 鶯谷万亀子さんの連載は、今回最終回です。お疲れさまでした。最後にこれ
まで取り上げたヒトたちが再登場しましたね。来年1月からは、また別の連載
がスタートする予定です。
 山崎邦紀さんは新作の公開にあわせて、吉田勝栄さんは『中公文庫解説総目
録』の発行にあわせて、寄稿してくれました。いいタイミングだと思います。
いつも以上にテキストの量が多くなってしまいましたが。
 来年2月には、恒例のアンケート企画「この版元がエライ!」を発行します。
参加したいという読者の方は、南陀楼までメールください(末尾にアドレスあ
り)。出版社、書店の方も歓迎です。
 ぼくの今年の編集号は、これで終わりです。ありがとうございました。来年
もどうぞよろしく。ちと早いですが、よいお年を。    (南陀楼綾繁)

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